生活

日々の生活のことを書きます

写経で文章がうまくなりたい 岡庭容疑者の半生に関して

 コツコツ写経は続けているのだが、ブログにまとめるのが面倒くさくなって早3か月くらいたってしまった。人はこうして堕落していく。

 正味4か月くらい写経を続けているが、自分の文章が上手くなったのかどうかはやはりよくわからない。誰かに見てもらったほうが良いのだろうか。

 ただ、週刊誌や新聞社の記事などをみる機会が増えたので、ちゃんと校閲が入っている媒体とそうでない媒体の違いくらいはわかるようになった。細かい助詞や表現が統一されているか。誤字脱字がないか。人道的な観点、あるいは事実かどうかという点などで怪しい点のある箇所がカットされているか、うまく表現が変えられているかどうかとか。

 新聞社は基本的にこういうところは問題がないのだが、出版社では大きなところでも誤字脱字があったりするのが、面白い。

 ということがわかったのは進歩だといえるのだろうか。

 

 前置きが長くなってしまったのが、そろそろ本題にはいるとするか。

 今日写したのは、文芸春秋社のウェブメディア文春オンラインに投稿された記事

『「また何か起こすと思った」茨城一家殺傷の岡庭容疑者(26)が金属ワイヤーを隠し持っていた理由』という記事である。

 2019年9月、茨城県境町で当時小林光則さん(当時48)と妻の美和さん(同50)が刃物で殺害された。2021年5月7日その容疑者として逮捕された、無職・岡庭由征容疑者(26)。その犯行に至るまでの軌跡を追った記事だ。

 岡庭は約10年前、未成年女児への通り魔事件を起こし、世間を騒がせた。当時10代だった岡庭は地元三郷市で中学3年生の女子生徒の顎を突き刺し、翌月には千葉県松戸市内で小学校2年の女児の脇腹を刺した。女児二人は幸い命はとりとめたが、岡庭は家に金属製のワイヤーを持っており、当初は殺害をワイヤーで首を切断し、そのまま持ち帰るつもりだったという。

 この時、検察側は反省の態度が見られないことから、懲役5年から10年の不定期刑が妥当だと判断した。だが、岡庭は広汎性発達障害であるため逮捕はされず、医療少年院に送致された。結果として岡庭は更生するどころか、さらに大きな事件を引き起こしてしまったわけだ。

 つまらない言い方ではあるが、記事で絵が描かれた岡庭の姿は異常としか映らなかった。だが一方で「ケーキを切れない非行少年たち」など最近発表された「何か援助が無ければ”普通”に生きられない人達」という存在が描かれた作品などを読むと、岡庭にもなにか別の道があったのではないかと思えてしまう部分もある。異常な人間として岡庭のような存在を消費してしまうことで、一定数いる、どこか偏りのある人間が抱える苦悩や彼らが社会に適応するうえでの問題を見過ごしてしまうことにはならないだろうかとも、思えてしまう。

 もちろん、日本は法治国家なので罪は罪として償うべきであるし、家族を殺された遺族からすれば、岡庭が死んだところで許せるものではないと思うが。

 

bunshun.jp