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ブラッド・レッド・スカイを見た パニックムービーからランボーのような児童が大活躍する笑激の展開に。

 ニューヨークに向かう飛行機が舞台。突如テロリストが現れ、フライトサスペンスムービーが始まるかと思いきや、乗客には「吸血鬼」がひそんでいた!!!乗客がテロリストにおびえる一方でテロリストと吸血鬼のフライトパニックホラーも進行、二つの要素が互いに絡み合う意欲作!!!みたいな感じかな、と思っていたのだが、いざ見てみると、物語が進むにつれ、可笑しな雰囲気になっていく作品だった。

 物語は大西洋を横断している飛行機がテロリストに乗っとられるところから始まる。主人公の女性は、思わず動き出してしまった息子を助けようとし、銃で撃たれてしまう。

 だが、実は女性は北欧の森で吸血鬼にかまれ、吸血鬼の力に目覚めてしまっていたのだ。死んだかに思えた女性は吸血鬼の不死の力で息を吹き返し、テロリストと闘い始める。のだが、この吸血鬼の設定が取ってつけたようなものなのだ。バイオハザードのような細菌パニックものではなく、いわゆるドラキュラ伯爵のような「吸血鬼」の血族がいるらしいこと、かまれると吸血鬼の血族になること、強い意志を持っていないと吸血鬼の本能にあらがえないことなどは表現されるのだが、それがなぜなのか、弱点は、どこまで不死身なのか、意思が弱い人間は化け物になるのなら、主人公は何故人間としての意識を保てているのか、といったディテール。そもそも何故吸血鬼が生まれたのかなどの詳細は一切明らかにされない。そのままテロリストと闘い、その中で感染が広がり機内が吸血鬼パニックに至る様が描かれていく。とにかく置いてけぼり感がすさまじい。

 そして主人公である吸血鬼の子供もおかしい。年端もいかない幼い子供のはずなのだが、動きが鍛え上げられたいっぱしの少年兵のようなのだ。

 まず胆力がすごい。死んだと思っていた母が突如尖った歯に尖った耳、スキンヘッドという醜悪な化け物に変わり果てても「ママ―!!!」と受け入れ、終盤は大人たちが恐怖にしり込みする中、吸血鬼の巣窟となった貨物室に吸血鬼が厭がる「紫外線ライト」を手に単身で乗り込んでしまったりもする。

 また、人の死に恐れを抱かず、ためらいもない。中盤主人公がテロリストのリーダーをナイフで刺し殺すシーンがある。主人公は刺し殺したあと首の傷からしたたる血を見て、吸血鬼の本能に則られそうになったのか、突然苦しみ、その場から立ち去る。そんな母を助けるためなのか、息子は牛肉に刺さったのを引き抜かのようになんの躊躇もなく、テロリストの首元からナイフを引き抜き、母のもとにもっていく。続編で登場した際には「お前くらいの年の頃には、俺はもう何人にも殺してたぜ……」と言いだしそうな雰囲気だ。

 このように、とにかく、この児童がすごいのである。「もう、おしまいだぁ!!!」「どうやって解決するんだぁ!!!」と思う場面でことごとく出てきて、なんとかしてしまう。

 物語は中盤以降、吸血鬼パニックものからランボーのような児童が大活躍する映画に様変わりしまうのだ。もちろん、吸血鬼要素は終盤までずっと残ってはいるのだが、この児童の活躍の前には霞んでしまう。

 テロリスト、吸血鬼、ランボーのような児童、全てがめちゃくちゃになってしまったなかでどうやって収集をつけるのか、と思ってみていると結局最後もこの児童任せですべてが解決してしまう。すべてがクラッシュした後、脚本家がウイスキー片手にやけくそになりながらかいたような物語だった。

 ブラッド・レッド・スカイは正直なところしょうもない映画で、探そうと思えばいくらでも粗を探せる。良質なスリラーものとかグロゴアホラーとかでは決してない。ただ、勢いはよく、B級映画としてみる分には面白かった。期待してみないのがよい作品である。